【第27話】 生存の代償 ……② 5日目の深淵、狂い出す時間感覚
6 生存の代償……② 5日目の深淵:狂い出す時間感覚
◆ 遭難3日目:脳裏をよぎる魔猿の咀嚼
これで何度目の休憩だろうかとボンヤリ考えながら、ミカドは昨日とは違う……体の芯にずっしりと、重くのしかかる疲労を感じていた。
「みんな大丈夫だったかしら……」
リオニの口から零れた不安が、暗闇に吸い込まれるのを……ミカドはただ黙って眺めていた。
手に持った干し肉が、彼女の口に運ばれ噛み砕かれていく……その姿は、昨日よりも明らかに弱々しかった……。
健全な性欲は、健全な健康の上に成り立つ。
しっかりと唾液が出るように、ゆっくり時間を掛けて味わうリオニの咀嚼姿は、ミカドのリビドーに干渉しているが『色っぽく見えるな……』と、思うだけだった。
……何か……妙に落ち着いてるな……。
昨日あれだけ暴れん棒の聞かん棒だった下半身は、嘘のように理性を保っている……。
……いや、本当の疲れが出てるのかもな……いや、そんな事はどうでもいいんだよ……!
ミカドは頭を振って雑念を追い払った。
裂かれる顔面、蘇る残像
すると、それが良くなかったのか……今度は頭の中で……リオニが干し肉を噛みちぎる光景と、均衡を破った魔猿の挟み撃ち後の思い出したくなかった光景が重なってしまった。
あのとき――パニックで逃げ惑う冒険者の1人が、絶叫しながら顔面を魔猿の牙で齧り取られた。
その最悪の瞬間を、その最悪の光景を……ミカドはその目にしっかりと焼き付けてしまった。
……くそ……こんな時に……。
あわよくば、そのまま忘れようとしていた記憶……人間の顔面が齧られる瞬間の残像が、脳裏の暗闇に嫌がらせのように挿し込まれ、まるで……いま目の前で起こったかのような鮮明なフラッシュバックをミカドに引き起こしていた。
……魔猿に見つかれば……。
リオニの口元で引きちぎられている干し肉の繊維が、あのとき引きちぎられた人間の顔面の生々しい赤とドロドロに混ざり合ってミカドの神経を撫でまわす……。
……うっ……。
ゲロを吐きそうなほどの怖気に襲われたミカドは、リオニに気づかれないよう必死に平静を装った。
よせばいいのに……無能な頭は勝手に働き、今度は別の心配を引き寄せる。
……仲間の誰か……死んでてもおかしくないんだよな……。
無事であってくれと、ただの願望でもいいから叫びたかった。
けれど、冷静になればなるほど、全員が無事である可能性に疑問しか湧かなかった。
「くそ……あれは、俺達にはまだ無理な相手だったんだよ……。凄く警戒してたのに……それをあっさり超えるヤバさだった……」
驚くことに、ベテラン勢は魔猿に吹っ飛ばされても前線を維持し続けていた……。
あれがもし、自分たちだったなら……そう考えたとき、喉の奥にせり上がってくる熱い吐き気をどうにか押し殺し、ミカドは震えそうになる体をなんとか抑え込んだ。
「…………」
あの魔猿はこれまで相手にした魔物や魔獣とは根本的に違う……。
どれだけ思考を巡らせても、導き出される答えは1つだ。
未熟な俺たちが『絶対に相手にしてはいけない天災』という安直な結論しか、今のミカドには出せなかった。
無力な自分、折れかける心
「ねぇ、私達。生きて戻れるかな……」
リオニの不安が……暗闇を通じて震えるように伝わってくる。
「大丈夫だろ……」
昨日まで、あれほど前向きに作戦を立て、自分を現実的に引っ張り上げてくれていた彼女の心が、たった1日……それだけの経過でこれ以上ないほどに脆くへし折れかけている。
こういう時に不安を和らげられないのだから、不甲斐ない役立たずと思えてしかたがなかった。
……俺にもっと力があって強かったら…もっと頭が良くて賢かったら……。
無い物ねだりは意味が無いと思いつつも……ミカドは無力な自分が歯がゆく……情けなかった。
◆ 遭難4日目:狂い出す時間感覚、薄れゆく男の邪念
重苦しい洞窟の雰囲気と無言に耐えかね、ミカドはつい考えもなく口を開いてしまった。
「それにしても魔猿…化物みたいな強さだったよな?」
ミカドは最近、話題に困ると魔猿の事ばかりが頭に浮かび、気が付くとつい口にしてしまうという癖が付いていた。
「そうだね……」
……またやってしまった……あの猿、印象が強過ぎるんだよ!
いつもなら「当たり前でしょ」と、突っ込んでくるはずの彼女の元気が完全に枯れ果てている。
リオニの気のない返事が、暗闇の冷たさをいっそう際立たせ、ミカドの胸の奥に底しれない不安が膨れ上がる。
……洞窟の中って、こんなに暗かったっけ……?
そう思う事すら、もう何度目か分からない。
ただ……このまま話を終わらせてしまえば更に雰囲気が悪くなるのだけは、分かり切っている。
「でもさ、中には竜を相手にする奴らもいるっていうし、そいつらからすれば魔猿なんて大したことないんだろうか?」
「さあ、見たことないし」
「…ていうか本当にそんな奴いると思う? いるなら俺達を助けてくれないかなぁ?」
自分で言いながら、ミカドは少し期待してしまった。
今回の救助隊の中には竜を相手にできるような冒険者はいなかったけれど、ミカドが気にしていなかっただけで、キナーク砦にはもしかしたら、そういう強者がいるかもしれない……と。
……遭難してから魔猿には一度も遭遇してないし気配も無い……だけど……。
魔猿はいなくても、蜘蛛や蛇、モグラに蟻などの比較的小さいモンスターとは遭遇している。
今のところ倒せてはいるものの、気を休められる時間は少なく……ストレスは溜まる一方だった。
今は、やっと見つけた安全そうな場所で休憩を取っている。
この会話はストレスを溜めない為の気分転換のつもりで始めたのに上手くいかなかった。
「なにそれ。フラグ立てて助けてもらおうって魂胆? 浅いわねぇ」
「ははっ。やっぱ無理かな?」
リオニからようやく、少し明るい声が出た。
……失敗をフォローされたな……。
恐らくこちらの努力に気が付いていて、リオニが気を使ったのだろうとミカドは思った。
……遭難状態になってから、正確には何日経ってるんだ? いっその事、本当にフラグが立って誰かが解決してくれたら助かるのに。
先の見えない状況に、ミカド自身も元気が無くなりつつあるのを感じていた。
不気味に育つ不安
……これなら昨日みたいに下半身に振り回されてた方がマシだろ……。
休憩のたびにリオニの様子はおかしくなっている。
このままだと、近いうちに取り返しのつかない事が起きるのではないか……。
漠然とした勘でしかないが、リオニのその横顔を見つめていると、ミカドの胸の奥で、正体の分からない不安が……また一回り、不気味に育ったように思えてならなかった。
◆ 遭難5日目:境なき暗闇、麻痺していく神経
洞窟内には昼も夜もない。
ミカドとリオニは太陽という基準を失い、2人の時間感覚はとうに狂っていた。
加えて移動中も、休憩中も、常にモンスターへの怖れと警戒に神経をすり減らし続けている。
無理な戦闘は死に直結する。
だからこそ、神経がいくらすり減ろうとも……索敵を緩めることなど絶対に許されなかった。
幸いミカドもリオニも戦闘狂ではない。
少しでも不穏な気配を感じたら息を殺してやり過ごし、勝てそうな小型のモンスターだけを間引きながら手探りで進む。
しかし、戦いを避ければ安全というわけではなかった。
どれほど神経をすり減らし、縋りつこうとも、人間が保てる正気には限りがある。
そして、その瞬間は唐突に訪れた。
……限界だ……精神がガリガリと削られていく……。
肉体の疲労以上に、一瞬の油断も許されない緊張感が、ミカドの精神を蝕んでいた。
隣を歩くリオニとの会話も、いつから途絶えているのかすら分からない。
暗闇のなかに境目がないように、自分たちの命がいつ尽きるのか、その境界線すらもう麻痺して分からなくなっていた。

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