【第8話】 盗賊の本分……③
3 盗賊の本分……③
5月
ロスはゴブリンを睨みながら、手の中でナイフの柄を軽く弄んだ。
状況は一刻を争う。
ゴブリンを倒し、ボスの意識を逸らし、そして、ビビっている癖にツンと澄ましたこのお嬢様の誤解を解かなくてはならない。
小悪党としての矜持が、ロスを少しだけ真剣な顔へと変化させた。
……たぶんこのゴブリンども…彼女を追ってきて疲れてるんだろうな。
……明らかに動きが遅い……いや、遅すぎる。
……彼女の方は話し掛けても答えてくれそうに無いし。
……先にあっちを終わらせた方がいいよな。
「そのまま動かないで」
彼女から視線を外したまま、ロスはゴブリンに向かって歩き、近付いていく。
◇
動くなと言った後、男はゴブリンを見つめながらブツブツと何かを呟いている。
男の背中は、ひどく不気味に見える。
けれど、その眼差しに先程までの軽さは微塵も感じられない。
どうやら真面目に考えると不気味になるタチなのだろう。
……考えている余裕があるのかしら?
男の考えに従うつもりは無かったけれど、私はその場から動けず、黙って男の背中を見ていた。
◇
歩きながら、迫るゴブリンをじっと観察する。
……武器は……そりゃ持ってるよな。黒っぽいあの木……あれは血を吸って乾いてああなってるのか……? それとも、ただのカビか何かか? もしカビだったら……汚ねぇな……。
「あぁ……つい考えに雑念が……」
首を振って思考を切り替える。
もっとちゃんと見ないと、命がいくつあっても足りない。
……でも。このゴブリンの足取りなら、振りかぶったのを見てからでも、たぶん余裕で躱せる……はず。
頭の中で冷静ぶってはいたが、実際のところ、心の底ではビビりの気持ちもかなり大きかった。
当時の俺も今の俺も、自信を持てるほど自分が強いと思えたことなんて一度もない。
だからこそ、ビビる気持ちにはきっちり蓋をして、余裕なフリで自分の自信を取り繕う。
そうしなければ体が硬直して、ゴブリン相手に不覚を取る危険が跳ね上がる。
とはいえ、この疲れたゴブリン相手に負ける可能性はかなり低い。
安全を一番に考慮した戦いを頭の中で組み立てる。
普通のゴブリンなら、きっと木の棒をがむしゃらに振りかぶって叩き付けてくるだろう。
疲れを加味すればその動きはさらに単調になり、対処も容易にできるはずだ……そう考えていた、その時だった!
◇
ゴブリンが近付いてくる。
その醜悪な姿が視界に大きく映り込んだ瞬間、私は自分の置かれた最悪な状況を突きつけられ、体が完全に硬直してしまった。
そうだ……私は今、死にかけている。
周りは敵だらけだ。
私を執拗に追うゴブリン。
目の前にいる、得体の知れない気持ちの悪い男。
少し離れた場所から怒鳴り声を上げている、ボスと呼ばれていた男。
それに、彼らの仲間もどうせ隠れた場所に結構な数潜んでいるのだろう。
男がゴブリンに向かって歩き出したこの隙こそ、私が逃げるべき唯一の好機なのだ。
けれど……状況的にはすでに詰んでいた。
今この場から逃げ出したところで、この男の仲間に見つかって捕まるだけ。
ゴブリンに惨殺されるか、それとも山賊に捕まって玩具にされるか……。頭をよぎるのは最悪の二択しかなく、私の心は底知れない陰惨な恐怖に塗り潰されそうになっていた。
……ここで、死ぬしかないの……?
諦めと絶望が脳裏を支配しかけた、その時。
ふわりと、この血生臭い戦場にはおよそ不釣り合いな、妙に落ち着いた香りに意識を奪われた。
誘われるように匂いの元に視線を走らせれば、すでに男とゴブリンが互いの間合いに入り、戦いを始めようと動き出していた。
……コーヒーかな。
なぜ、こんな場所からそんな匂いがするのか。
混乱する私の前で、男がゆっくりと、けれど確実に最初の一歩を踏み出した。
◇
来た……!
ロスの予想通り、先頭のゴブリンは、浅はかに木の棒を振り上げて殴りかかってきた。
……動きは……鈍い! よし、はっきり見える!!
振り下ろしの動作までしっかりと視界に捉え、ロスは内心でホッと胸をなでおろした。
……よし! 今日はかなり調子が良いな……!
ゴブリンの渾身の一撃を、上体を捻りながら鋭いバックステップで鮮やかに躱す。
そして、避けた勢いをそのまま利用して一気に剣を抜いた。
遠心力を限界まで乗せ、勢いそのままにゴブリンの無防備な胴体を斬り付けた!
力の流れを使った、これ以上ないほど合理的で無駄のない動き……ではあるが、正直なところ、後ろで見ている彼女にちょっと格好つけたかった気持ちの方が大きかった。
……狙いは適当……! でも……!!
『ゴリンッ』
鈍く重い感触が、ロスの手から腕、そして肩へと強烈に伝わってきた。
思い切り叩き付けるように斬り付けた刃が、肉体の大きな抵抗によって阻害される。
……よっしゃ! 手応えあり!!
剣がどこに当たったのか、正確な位置までは分からない。
けれど、断ち切った確かな手応えから、かなりの深手を負わせたことだけは分かった。
……本当は視界から外さないように戦う方が良いんだけど。
久しぶりに接する綺麗な女に、ロスはつい見栄を張ってしまった。
結果として会心の感触を得たけれど、ここで満足すると失敗するというのがこれまで生きてきた教訓だ。
調子に乗りたい気持ちをすぐさま叱咤し、残りのゴブリンへと警戒を回す。
そう、ゴブリンは二体いるのだ。
格好をつけたまま、勢いに任せて続けて追撃を仕掛けるのはさすがに危ない。
……優位な時ほど慎重に……だ。
調子に乗って無駄な怪我をするのは馬鹿らしい。
ロスは一度落ち着いて対処するため、バックステップの歩調を緩めず、ゴブリンから大きく距離を取った。
もちろん、背後にいる彼女の方にゴブリンが向かわないよう、位置取りを計算しての移動だ。
……俺だって、そのくらいの戦術スキルは持っている。
下がりながら、情報を得るために周囲へ視線をあちこち走らせるのを忘れない。
すると、残った方のゴブリンが、今しがた倒れたばかりの仲間に向かって手にした木の棒を容赦なく振り下ろしていた。
何度も何度も仲間の頭を打ち据え、その死体からもう一本の木の棒を強引に奪い取ると、満足そうに下卑た笑みを浮かべている。
……うわぁ……本当に蛮族だなぁ……。
仲間から容赦なく武器を剥ぎ取られるゴブリンに、一瞬だけ憐れみを感じながら、ロスは再び身構えた。
……こいつ、やっぱり底抜けの馬鹿なんだろうな。
残った方のゴブリンは、手に入れた二本の木の棒を左右の手に持ち、カンカン木の棒を叩きながら得意げに二刀の構えを取っている。
……二刀流なんて凄い怪力があるか、凄い達人じゃないと弱いのが常識なのに。
ゴブリンのあまりのマヌケさに、思わず緊張の糸が抜けそうになる。
だが、一対一になれば、流石に余裕の感じ方が変わる。
先ほどまで意識して張っていた強がりが、本当の「余裕」へと変わっていく。
今のこの状況なら、万に一つも負ける要素はない。
二刀持ちで悦に浸るゴブリンの前で、ロスはそれを嘲笑うように、ゆっくりと剣を上段へと振りかぶった。
……しっかり見てろよ?
ゴブリンに軌道を見せつけるように、動き出しはあえて酷くスローに。
そして、最高点に達した瞬間、ロスは両手の力を込めて一気に振り下ろした!
「ギャッ!?」
ゴブリンは交差させた二本の木の棒でそれを受け止めようとしたが、ロスの剣は容赦なくそのガードを叩き潰し、弾かれた衝撃のままゴブリンの肩へと深く食い込んだ。
……そりゃそうだ。そんな細い腕で、しかも片手持ち。片手持ちの頼りない木の棒が、遠心力と体重を乗せた両手持ちの剣に勝てるわけがないだろ……。
肩を押さえながら耳障りな悲鳴を上げるゴブリン。
隙だらけの胸元へ向かって、その心臓を狙い、冷徹に剣を突き立てた。
耳障りな呻き声がフッと途絶え、ゴブリンはあっけなくその場に崩れ落ちて絶命した。
動かなくなったゴブリンを見下ろしながら、ロスは事務的にその耳を削ぎ落とすと、剣の血を軽く払い、ゆっくりと女の方に向かって歩いていく。
……さて……これでひとまず安全になったと思うけど。まぁ、十中八九、これだけで警戒を解いてくれるわけはないよな。
そう内心でため息をつきながらも、ロスは出来る限り敵意のない、優しい笑顔を作ろうと顔の筋肉を必死に動かした。
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