【第7話】 盗賊の本分……②
3 盗賊の本分……②
5月
……大丈夫、うまくいかなくても……死ねばいいだけ……。
いつもの様に『死ねばいいだけ……』そう頭の中で呟くと、不思議とすっと覚悟が決まる。肝が座る、冷静になれる。私が……私でいられる。
甘いような、苦いような……そんな独特の匂いと、冷や汗の匂いが混じった、自分とは違う……他人の香りが、風に乗って私の鼻先をくすぐった。
◇
……近いな、すぐそこにいる。人か……魔物か……それともただの動物って可能性も……?
相手は恐らく隠れている。
経験上、こんな時は……小細工をせずに素直にやってみると、良い風に転ぶんだよな。
「そこに誰かいる?」
ロスは低い声で喋りかけた後、しゃがみ込んでから気配を消すため、動きを止めてジッと待つ。
待っていれば、辛抱できずに相手の方が動くのを、俺はこれまでの経験からよく知っている。
……魔物なら直ぐに動くんだけどな。
相手の出方はまだ分からない……焦らされるロスの緊張感はじわじわと高まっていった……。
……人なら得体の知れない相手から話し掛けられたら様子を見たくなる……。一方的に様子を見ようと思うなら動きを止めて気配を消すはず。こちらには味方もいるし…優位はひっくり返らないはずだ…よな?
相手の出方を見たいと思うのはロスも同じだ。
だから、動きをピタリと止めた。
自分の優位を無くさないようにと注意しながら茂みの向こうを凝視した。
ジリジリと精神が削れていく感覚と引き換えに、集中力は増していく。
……こういうの……疲れるんだよなぁ。
◇
私は何故か動かなくなった『敵』に強い疑問を感じていた。
……どこかに行った?
いや、それなら音を立てて離れるはず。それとも、私を釣ろうと物陰で待っている……?
どちらにしても、相手の術中にはまって先に動くのは癪に障る。
だから、私は絶対に動かないと決めた。
恐らく、背後からはゴブリンが今も距離を詰めてきているだろう。
それでも……私は絶対に動いてやらないと心に決めた。
◇
……動きが無い。てえことは……相手は魔物じゃなくて人間かぁ。厄介だなぁ…どうしようかなぁ……。
ここは慎重に動く場面と考え、ロスはさらに慎重に思考を巡らせる。
風に揺れる草葉の音、流れてくる匂い、不自然な音。
何一つ見逃すまい、聞き逃すまいと意識を集中させていく。
「何やってんだぁっ!ロスぅっ!!返事しねぇとブッ殺すぞっ!!」
「はいっ!喜んで~~っ!!」
短気なボスには素早い返事が必須。その癖が思いっきり出てしまった。
静寂を引き裂くボスの怒声に、条件反射で勢いよく立ち上がり、声を張り上げて答えてしまったロス。
「………………。」
あ……しまった、隙だらけに……。
体は動かないが、ロスの意識は既に防御態勢に切り替わっていた。
後悔しながらも、素早く状況を確認し、即座に思考を更新させていく。
……まずは情報だ。
無計画に立ち上がった事により、新しい情報がいくつもロスの目に飛び込んできた。
その視界の中から、必要な情報だけを素早く取捨選択していく。
……近くに一人……女だ。少し遠くにゴブリンが二体……か?
これは……追われている?って事だよな……。
情報を処理しながら、ロスは女から目が離せなかった。
この時が、ザハグランロッテちゃんと初めて目が合った、記念すべき瞬間である。
◇
私は焦れながら、そして『敵』は辛抱強く私の動きを探っていた。
ゴブリンに追いつかれるまで我慢比べになると覚悟したのだが、粗暴な声が、私の覚悟ごと、全てを台無しにした。
『敵』はあろうことかあっさりその声と姿を晒した。
風上に漂うあの独特な豆の匂いから、『敵』のいる方向はある程度察しはついていた。
かなり近くにいると思っていたが、それは予想通りだった。
立ち上がった『敵』と、私は真っ直ぐに目が合った……合ってしまったのだ。
それはつまり、『敵』に自分の姿と位置が完全にバレた事を意味する。
……この後だ、この後の行動で、私の未来は決まる……。
『上手くいかなければ死ねばいい』
そう覚悟はしていても、土壇場になれば情けなく、穏やかに死にたいと願いたくなる。
「ボスっ!奥にゴブリン二体!!」
固まる私から目を離さないまま、『敵』は私の存在をボスとやらに伏せた。
その意図は分からない。私は女で、『敵』は男だった。こんな見知らぬ森の中、没落した身の私に思い付くのは、良くない事ばかりだ。
警戒して全身を強張らせる私に対し、『敵』は懐から何かを取り出した。
私は平然を装うが、恐怖と嫌悪で体は限界まで強張っていた。
『敵』は懐から取り出したそれを千切ると、一欠片を自分の口に放り込んだ。
そして、毒が入っていないことを証明するように残りを私にしっかりと見せてから、こちらへ向けて投げ渡してきた。
敵意は無い、そう言いたいのだろうか。分からない……けれど、不気味にしか見えないし、不気味としか思えなかった。
「ボスぅっ!!ちょっとゴブリン始末してきやす!!他にもいると危ねえんで!そこにいてくだせぇ!」
男は私から目を離さず、『その場から動かないように』というようなことを、手の動きだけで真剣に伝えてきた。
最後に片目を閉じて、酷く気持ち悪い顔を見せてきたのにはゾッとした。
……私を安心させる目的でもあったのだろうか……安心?
まさかあれで安心できるとでも思ったのだろうか……思い出すと気持ち悪さが胸に込み上げてきた。
どちらにしても、私の中で『気持ち悪い敵』という認識は何一つ変わらない。
◇
……などと、彼女は考えていたそうだ。敵の認識が変わっているんじゃないかと思ったが、口にはできなかった。
後から聞いた話だが、ザハグランロッテちゃんは出会った時からザハグランロッテちゃんで、最高に孤高の人だった。
ザハグランロッテちゃんは、俺という『敵』の気持ち悪い動作に、猛烈な嫌悪感で身動きが取れなくなっていたらしい。
『敵意は無いのかもしれない。けれど、あまりにも得体が知れなさ過ぎる……。もっと警戒しないと』
密かに警戒を高めた彼女は、容赦ない視線で俺を刺してくるのだけど……当時の俺はというと『敵意全開だなぁ……』などと、なんとも呑気な気持ちを抱いていた。
ウインクという分かりやすいジェスチャーなら、敵意が無いと伝わりやすいよね……という、俺なりの友好的な気遣いだった。
しかし、今考えてみれば確かに『彼女が冷めきった顔』に変化し、明らかにこちらを『見下したような目』になったのも、仕方が無いような気がした。
普通の俗世から離れて長かったのもあるし、そもそも地の街に関わるような人間がまともな訳もない。
とにかく、俺以外の人間なら、彼女のあの高慢な反応に腹を立てたかもしれない。
けれど、俺はあの毎日「ブッ殺すぞ」と喚くボスの下で働いているのだ。
既にその辺の罵倒や拒絶に対する感覚は、完全に麻痺していた。
◇
冷たい目で見つめられたまま、ロスは極めて気楽に彼女に話しかけた。
「追われてんの?あのゴブちんに」
近づくゴブリンを気にもせず質問したロスの態度は、女から見て物凄く軽薄に見えた。
◇
「…………ゴブリン……?」
私の唇から漏れ出たのは、微かな戸惑いの声だった。
目の前の男があまりにも脈絡のない言葉……『ゴブちん』などというふざけた響きを口にしたからだ。
「………。いやいや、俺はゴブリンじゃないよ!?」
私が信じられないものを見る目で、目の前の男と奥の藪を交互に見つめてしまったからだろう。
男は心外だとばかりに慌てて抗議の声を上げてきた。
この時、私は最大限に警戒し、張り詰めた精神で対峙していた。
それなのに、目の前の男はそれを嘲笑うかのような、酷く軽いノリで問いかけてきた挙句、人の驚きすら弄んだのだ。
命がけの撤退戦の直後である。
その緊張感を冒涜されたような気がして、私は猛烈に腹が立った。
……なんなのよ、この男は!
あまりにも呑気な男を前に、私はどう動くべきかという最適解を完全に決めあぐね、質問に答えることすらできなかった。
失敗したかもしれない。
頭の中の冷静な私は、この頑なで冷淡な対応は、状況をさらに悪い方向に向かわせると警告し、大多数の別の私も同じ結論に至っていた。
けれど、そんな私の心配をよそに、男は拒絶されたことなど全く気にした様子も無い。
それがまた、絶妙に私の神経を逆撫でする。
そうしている間にも、背後の森からはゴブリンの足音が確実に近付いている。当然、この男も気がついているはずなのに……。
◇
……いや、本当に答える気がないな、このお嬢さん。
ロスは内心で肩をすくめた。
敵意全開の鋭い視線。
警戒心というよりは、もはやこちらを害敵か何かと断定しているような、ひどく冷めきった目。
普通なら、こんな態度を取られたらへそを曲げて「じゃあ勝手にしろ」と見捨てて立ち去る場面だろう。
だが、ロスの目は、彼女のそんな強固な能面の下にある「綻び」をが見えてしまっていた。
平然を装って背筋を伸ばしてはいるが、布地越しでも分かるほど全身がガチガチに強張っている。
呼吸は浅く、額にはじっとりと冷や汗がにじみ、その瞳の奥には、隠しきれない「焦燥」が不自然に揺らめいていた。
……強がっちゃいるが……限界だな、こりゃ。
そして、そんな彼女の背後……少し離れた藪の向こうで、ガサガサと不快な音が響く。
緑の葉を押し分けて姿を現したのは、ぎらついた濁った眼球と、不潔な緑色の皮膚を持つ醜悪な小鬼。
間違いなく、彼女をここまで追い詰めてきたゴブリンだろう。
それが、2体。
ゴブリンたちは、ロスの存在と、そのさらに奥にいる“ブッ殺ボス”の一団に気づいたのか、一度はその醜い足を止めた。
だが、飢えた獣のような視線は、すぐに目の前の「獲物」であるザハグランロッテへと注がれる。
「ギギッ……ギャハッ!」
耳障りな鳴き声を上げ、2体のゴブリンが、ゆっくりとだが確実に距離を詰めてくる。
武器を構え、いつでも飛びかかれるように腰を落とす魔物ども。
女から見れば、前方に不気味で気持ち悪い男が立ちふさがり、背後には自分を追い回して来た敵が迫っているという、完全に挟み撃ちの形だった。
……あれ?これ、超怖いんじゃ……。
頭を整理したロスは、急にザハグランロッテから見える景色が想像ついてしまい、悪いことをしたという罪悪感から居心地が悪くなった。
……お、お前らのせいだからな!?
ロスはゴブリンを睨みながら、手の中でナイフの柄を軽く弄んだ。
状況は一刻を争う。
ゴブリンを倒し、ボスの意識を逸らし、そして、ビビっているクセにツンと澄ましたこのお嬢様の誤解を解かなくてはならない。
小悪党としての矜持が、ロスを少しだけ真剣な顔へと変化させた。
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