【第5話】 自分を形作るもの……④

アドセンス横長

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2 自分を形作るもの……④
5月頃

「私の名前は、ザハ・グランロッテよ」

「これは失礼。グランロッテ嬢」

「何かしら?」

「話し合った結果を伝えておこう。我々は、このまま進む事になった」

ローズから告げられた非情な現実に、ザハグランロッテの胸の奥に冷たい火花が散った。

やはり、自分の警告は通らなかったらしい。

とても愚かで、近視眼的な選択だと胸の中で冷笑したが、それをこの場でまともに口にしても関係性が悪くなるだけだ。

彼女は凍りついた仮面を維持したまま、短く問いかけた。

「……理由は?」

「引き返す方が安全だし、一度はそうなったんだが……あの橋がな……」

そう言われて、彼女は先ほど渡ってきたばかりの、あの損壊した木製の橋を思い出した。

「もう一度あの状態の馬車を渡らせるのはちょっとね。今度は完全に崩落する恐れがあるだろう?」

……確かにそうだ。橋のリスクについては、完全に頭から抜けていたわね……。

ザハグランロッテは内心で自分の落ち度を認めた。

愚かな判断だと喧嘩腰に言い返さなくて本当によかったと安堵した。

しかし、ローズの言葉はそれで終わりではなかった。

「馬車が壊れても、物(部品)が残っていれば修理費用は依頼者持ちだ。だが、馬車そのものを川に落として失くした場合は、依頼を受けた側が弁償する事になるからな。しかも、かなり高額になる」

……つまり。

ここまでは私の護衛だったけれど、これからは馬車という『高価な資産』の護衛がしたいわけね。

彼女が冷ややかな視線を向ける中、ローズは彼女の反応を値踏みするように見ながら話を先に進めた。

「今回の依頼は隣町に行くついでに受けたものだから、私以外は報酬が安いんだ。だから、不確かな情報で馬車を失うリスクを背負ってまで引き返すと、全員が大損になるって事さ……」

「はぁ……浅はかね」

「冒険者は遊びじゃねぇからな……」

ザハグランロッテの冷ややかな呟きに、初めてローズは明確な不快感を示した。

その瞳にプロとしての険しい光が宿る。

「価値観の相違ね。私は貴方たちの拝金主義に興味は無いけれど、引き返すのは無理そうだということは理解したわ」

お金よりも命の方が大事。

そう真っ直ぐに言いたかっただけなのに、実際にその唇から滑り出たのは、酷く刺々しい嫌みの強い言葉だった。

言い過ぎたと後悔したが、一度放った言葉はもう戻らない。

「強気な女は嫌いじゃないが、度が過ぎ、分をわきまえない奴はダメだ。自分すら守れないくせに……可愛げのない女だな」

ローズは吐き捨てるようにそう言うと、投げやりに背中を向けた。

最後に見せられた明確な軽蔑の表情が、ザハグランロッテの心に鈍い棘となって突き刺さる。

……まぁ、嫌われるのなんて、今に始まったことじゃないもの……。

慣れ親しんだはずの自己嫌悪で胸を重くさせていた、まさにその時だった。

前方の木々の隙間から、裂けるような怒鳴り声が風に乗って耳に飛び込んできた。

「魔物が……ゴブリンの群れだ!」

たった一体という事前情報を鵜呑みにし、事態を軽く見ていた冒険者たちが一転して血相を変えて慌てふためいている。

その無様な姿に、彼女の気分はほんの一瞬だけ、歪に上向いた……が。

……バカ!自分の方が正しかったとか、そんなの、今はどうでもいい事でしょう!

一瞬でも優越感を覚えてしまった自身の醜さに、彼女は激しく呆れ果てた。

勤勉なギルドの職員である彼女は、ゴブリンの『群れ』という存在がどれほどの脅威かきちんと理解している。

ゴブリンを基準にした冒険者ランクと、現状の危険度の相関図が一気にザハグランロッテの脳内を駆け巡る。

これはあくまで一人でゴブリンを相手にした場合の基準である。

Fランクなら一体を相手にできるが、負けることもある。

Eランクなら一体には勝てるが、二体は無理な場合が多い。

Dランクなら二体を相手に勝負できる。

Cランクなら三体を相手に勝負できる。

Bランク以上なら、そもそもゴブリン相手に死ぬような立ち回りに自分を追い込ませない。

今回の護衛に、そんな百戦錬磨のBランク以上はいない。

ゴブリンの群れにまともに会敵してしまったツメの甘さそのものが、ローズの力量がまだCランクの域を出ていないという証拠だった。

……うちの護衛はローズを入れて五人。Cクラスはローズのみ。Dクラスが二人、残りはEクラスが二人ね……。

出発までに頭に叩き込んでおいた護衛の情報を思い出しながら、ザハグランロッテは冷徹に計算を弾き出す。

……敵の群れが十体程度なら、まだ勝負になるかしら。ああ、でも、戦闘能力の無い私を守りながらの防衛戦となれば、実質的に相手をできるのは八体くらいが限界ね……。

だが、現実は彼女の計算を大きく超えていた。

押し寄せたゴブリンの群れは、総勢二十体近く。

圧倒的な数の暴力を前に、護衛たちはまともな連携すら取れずに翻弄された。

戦闘という行為は、想像以上に気力とスタミナを削り取る。

連携が取れれば気力を維持してスタミナを持たせられるが、一度形勢を崩されれば、底の抜けたバケツのようにすべてが急速に消費されていく。

ローズたちは、泥にまみれながら死に物狂いで頑張った……と思う。

だが、すでにEランクの冒険者二名がゴブリンの餌食となって戦線は崩壊。

ローズはあれほど守りたがっていた馬車を捨てるという、最悪の撤退戦を選択せざるを得なかった。

生き残ったのは、満身創痍のローズと、同じく疲労困憊のDランク二人。

対して、迫り来るゴブリンはまだ八体も残っている。一人当たりの対応限界を完全に超えていた。

状況は最悪だ。

死が……すぐ目の前で鎌を首筋に当てているような状態だった。

「はぁ……はぁ……お前たち!あの……丘の向こうまで行って、それから散開して逃げるよ!」

激しく肩を上下させながら、ローズが生き残った仲間に向けて叫んだ。

そして、荷台から降りていた彼女の腕を掴み、視線を真っ直ぐにぶつけてこう続けた。

「嬢ちゃん……悪いが、護衛はここまでだ。……丘を越えたら、自力で逃げろ!」

理不尽な現実。けれど、ザハグランロッテは怯える代わりに、いつも通りの澄まし顔で言い放った。

「ふん、自分の事は自分でやるわ。今度はお金よりも、命を大事にする事ね。……お前に次があればの話だけど」

「はっ!最後まで可愛げのない嬢ちゃんだ!」

ローズが憎らしげに嫌みを言い返す。

「せいぜい生き延びることね」

ザハグランロッテは最後にもう一度嫌みを叩きつけると、躊躇なく背を向けて歩き出した。

それを見た一体のゴブリンが彼女の後を追おうと跳躍したが、その軌道を遮るようにローズが立ち塞がり、鋭い一撃でゴブリンを斬り伏せた。

「散開して丘を目指せ!」

ローズの号令を受け、冒険者たちは各々のルートでゴブリンたちの視線を惑わせるように散り散りに走る。

ザハグランロッテはその動きに合わせ、気配を殺して鬱蒼とした森の中へと身を潜めた。

冒険者たちが四方八方に散ったことで、ゴブリンたちの意識もアチコチに分散していく。

しかし、やはりすべてのゴブリンの目を欺くことはできなかった。

二体のゴブリンが、ローズたちを無視して自分の姿を捜し、鼻を鳴らしながら藪をかき分けていることに気づき、彼女は思わず小さく舌打ちをした。

「やっぱりダメか……」

じっとしていれば見つかって殺されるか、嬲り殺しにされるのがオチだ。

緊迫する状況の中、彼女の合理主義が高速で最適解を模索する。

……通ったことの無い山道を進むより、元来た街へ戻る方がマシ……かしら?

あそこには、捨てられた馬車がある。

馬車の荷の中には、食べ物も積まれているはずだ。

追ってきたゴブリンどもがそっちに目移りしてくれれば、それで満足して追撃を諦めるかもしれない。

生存への希望としては、あまりにもか細すぎる。

それでも、ザハグランロッテはまだ決して諦めていなかった。

鋭い眼光を能面の下にぎらつかせながら、彼女は森の闇に身を隠し、元来た道を馬車に向かって戻り始めた。

……これまで、特に良いことも無かったわね。

諦めるつもりは無いけれど、思い浮かんだのは諦めを含んだ事だった。

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