【第19話】 絶望を運ぶ魔獣……④ 奈落のどん底、泥濘に這う二つの息災
5 絶望を運ぶ魔獣……④
◆奈落のどん底、泥濘に這う二つの息災
「ミカド! こっち!!」
……地下!?
◇
魔猿によるパニックの戦線から、ミカドはリオニに引かれるがまま、滑り落ちるように更に地下へと転がり込んだ。
その先は、これまで経験してきた人の気配の感じられるキナーク砦や周辺にある洞窟とは明らかに異質なものだった。
目の前に広がる暗闇は、同族である『人の気配と匂い』が完全に切り離された、ミカドにとっての「異界」そのものだった。
普段であれば奥になど行かず、絶対に引き返すであろう不穏の口……あろうことかその奥へと自ら足を動かし、ミカドはリオニと奥へ奥へと呑み込まれていく。
上層の戦闘音は、既に遠くの地鳴りのようにしか聞こえない。
それでもなお、ミカドは気配を殺し、息を殺し、ここで見つかれば宙を舞い、絶望の痛みの中、物言わぬ肉塊に変えられるという恐怖に追われ、死んだつもりで必死に逃げた。
ミカドは逃げる……逃げて、逃げて、逃げ続ける……。
逃げて逃げて、暗闇の物音ひとつにビビり散らかしながら……肉体も精神も限界まで疲弊し、もう一歩も動けない。
もう無理だと思った所で膝がカクンと落ち、ミカドはその場に尻もちをついた。
「……ミカド大丈夫?」
はぁはぁと、荒い息をつき、必死に呼吸を整えようとしているリオニに心配の声を掛けられた。
完全な暗闇……。
視覚が奪われた空間だからこそ、すぐ隣から伝わってくるリオニの『必死に怯えを隠そうとする気配』が、ミカドの肌にダイレクトに伝わってくる。
闇の女神の加護があるとはいえ、中身は別段強化もされていない、普通の女の子だ。
そんな彼女が、パニックに陥ったあの戦線から自分を引っ張り、ここまで一度も立ち止まらずに走りきった。
道中、リオニに何か話し掛けられた気もするし、自分は生返事を返していたかもしれないが、必死過ぎたミカドの記憶にリオニとの会話は残っていない。
恐らく彼女も不安だったはずなのに、ミカドは自分の事で一杯いっぱいになっていた事実に気づいてまた自己嫌悪した。
今になって蘇る暗闇の中の記憶……彼女の震えた手の温もりが、逃げ延びたミカドの掌に、ひどく生々しく焼き付いていた。
「大丈夫じゃ……ないよ。はぁ、死ぬかと思った。いや、もう半分死んでる……。それより、ここどこだろう?」
◆五感を磨り潰す粘着質な暗黒
情けない生返事を吐き出しながら、ミカドは泥にまみれた手を離し、懐の魔導ライトへと手を伸ばした。
しかし、頼みの綱である魔道具の指向性ライトは、光を完全に吸い込んだかのような粘着質な暗黒に吞み込まれ、光はどこにも到達しなかった。
目の前の暗闇が、ミカドたちの五感をじわじわと磨り潰していく。
いつの間に、広大な空間のある場所に出ていたのだろう……。
ひんやりとした湿気はもはや水気のそれを通り越し、まるで死者の脂でもまとわりついているかのように、肌にドロリとへばりついて離れない。
どこか遠くで『ピチョン……ピチョン……』と不規則に爆ぜる水滴の音だけが、不気味なほど明瞭に反響し、自身の輪郭が闇に溶けていくような錯覚すら覚えさせた。
……これは、下手に動けないぞ…………。
耳を澄ませてみても、魔猿の鳴き声や戦闘音は聞こえない。
聞こえるのは、ついさっき気になった水滴の弾ける音だけだった。
……ここまで来れば大丈夫か? これから……どうする……? 魔猿って物凄く執念深いんだろ? 俺達はターゲットに入ってるのか……?
「はぁはぁ……アレックスたち、逃げられたかな…」
ミカドの焦りに対してリオニの声色に悲壮感は感じられない。
魔猿の脅威から『距離を取れた』という感覚が、リオニの心に少し余裕を持たせたのかもしれない。
そんな風にリオニの様子を見たミカドも、少し……心に余裕が生まれたのを感じていた。
「あーあ、何でこうなっちゃったんだろ……オマールにエマにミカド。比較的冷静な人はみんな危ないって言ってたのに……」
……え? 今更……そこ後悔すんの? そんな神妙な顔をされたって、もう遅いんだけど……。
ミカドは見えないリオニの表情を、過去の記憶で想像しながら胸の中にどす黒く渦巻いた本音をグッと堪えて飲み込んだ。
……こうなる前に、強く反対してほしかったよ……俺は。
◆暗黒の仮眠、滾る肉体と覚醒する意識
ここで言い争えば、冗談抜きに死にかねない……ミカドは危険を避け、少しだけ前向きな言葉を選んで吐き出す。
「このまま、少し休んでから動こうか」
「休むってどれくらい?」
……経験上、こういう最悪な状況のときにアレコレ考えたって、碌な結果にならないんだよな。それに……俺は確実に疲れてるし、リオニだって疲れて無い訳ないだろ……。
……そうだ! 休まないと、やってられるか!
「一回、仮眠を取りたい。オドニスを助けに行こうって出発したのは……いつもなら寝ようかなって時間だったし……」
「そっか、確かに。じゃあ先に寝て良いよ。私はいま寝られそうも無いし」
……いや、それは俺も同じなんだけど……。
寝るなら自分も後の方が良い……とは言えず、結局ミカド先に寝て、次にリオニ……そうやって交代で仮眠を取ることになった。
けれど、極限状態のパニックの影響で、身体は熱く滾っており、目を閉じたところで興奮して眠れるわけがないと、ミカドは最初から諦めていた。
それでも、ただ蹲り、瞼を閉じていれば、働き過ぎた頭と身体も少しは休められる。
それだけで、気力は幾分かマシになるだろうと願い、ミカドは意識を暗闇の奥へと沈めようと努力した。

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